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      <title>気ままにオススメ</title>
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      <description>森博嗣のオススメ本と人生いろいろ</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2012</copyright>
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         <title>ちょう昔だけども面白そう　その７</title>
         <description>今じゃ考えられないけれど・・・・十朱幸代は本番の最中せりふを忘れ「なんだっけ」なんていったりしたが、セットの陰で泣いて「みんなに悪かった」とわび、役者根性を出し始めた。


番組は放送して1年後には人気が出て、昭和%年には第九回菊池寛賞を受賞、亀井墜郎、福原麟太郎、佐条茂索、佐多稲子など著名人のファンが多かった。


それは、芝居らしい芝居がなく、実在感のあるエッセー・ドラマになっていたからであり、チームワークの良さがヒットした最大の理由といえる。


そして、この成功が朝の連続テレビ小説を企画する基本となったそうです。</description>
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         <pubDate>Sun, 06 Mar 2011 13:10:35 +0900</pubDate>
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         <title>ちょう昔だけども面白そう　その６</title>
         <description>最初、当時、築地の銀座スタジオに中継車を持ち込んでの生放送、前の日にせりふをおぼえて毎日生放送が出来るかどうか不安だったそうです。


十朱幸代は高校1年の15歳から20歳まで出演し続けたが


「初めは女優としての自覚がなく、スタジオに遊びに行く気分で通った。出演者たちがいたわってくれ、家族以上の親しみを持った。この5年間の実践が現在の女優生活の中で大変役に立った」と彼女はコメントを話してくれたそうです。
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         <pubDate>Sat, 12 Feb 2011 13:10:23 +0900</pubDate>
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         <title>ちょう昔だけども面白そう　その５</title>
         <description>前回の続きです(^o^)ﾉ


脚本家の筒井敬介も「青少年男女の付き合い方を知らせるインフォメーション・ドラマであり、普通なら教育局で作るのだが、それでは面白くならない。


そこで警局の子ども番組で当たっていた作家の私と須藤君のコンビが呼び出され、警局感覚のドラ蕃組にしさつとした。


それで高校教師の自宅とパーマネント屋を選び、若い男女が自由に出入り出来るように配慮した」と具体的に解説しました。
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         <pubDate>Wed, 02 Feb 2011 13:10:11 +0900</pubDate>
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         <title>ちょう昔だけども面白そう　その４</title>
         <description>昔の話ですが、当時ラジオで「向こう三軒両隣り」がヒットしたように、テレビでも帯ドラマが出来ないものかという考えが芸能局の幹部にあり、もう一方ではティーンエージャーの家出が多かったので、その歯止めになるような内容を盛り込もうとしました。


館野昌夫ディレクターは「カリプソ娘の言動が話題になり、31年には1万2千人の少年少女が家出したので、若者を中心としたホームドラマを作ったらということになった。放送時間は7時のニュースが終わった7時15分から15分間の帯番組ということで、途中から土曜日までの放送となった」と、番組誕生の理由を説明してくれました。
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         <pubDate>Sat, 15 Jan 2011 13:09:59 +0900</pubDate>
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         <title>ちょう昔だけども面白そう　その３</title>
         <description>こんにちは。またまた「バス通り裏」の話しです(´▽｀)


そのほかの主な出演者では、十朱幸代の同級生で出演した岩下志麻、大森暁美、本郷淳、常田富士男、米倉斉加年、田中邦衛などが著名であり、昭和33年4月7日から38年3月30日まで5年間1395回続いたそうです。


33年5月にテレビ受像機の普及が100万台を突破。


街頭テレビ時代からの茶の間にテレビが入り込みはじめたころにこの「バス通り裏」はスタートを切りました。</description>
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         <pubDate>Fri, 07 Jan 2011 13:09:48 +0900</pubDate>
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         <title>ちょう昔だけども面白そう　その２</title>
         <description>「バス通り裏」

小栗一也ふんする高校教師・赤沢順平の家のセットは、ぼくの家をそのままそっくり使って書いた。


テレビのセットをどう考えたらいいかわからなかったからだ」と、当時の心境を告白してくれました。


小栗一也の奥さんに織賀邦江、その息子洋平に谷川勝己(のち宗方勝己と改名、長内美那子と結婚)、美容院の川田家には、武内文平と露原千草の夫婦と十朱幸代の娘元子がおり、五郎ちゃんこと佐藤英夫が全国から応募した4500人より選ばれたお嫁さん・蔵悦子と新居を構えました。</description>
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         <pubDate>Thu, 16 Dec 2010 13:09:36 +0900</pubDate>
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         <title>ショート・ショート的な</title>
         <description><![CDATA[待ち合わせはホテル・クリヨンのバーだった。


コンドルト広場に面して威風堂々の構えのこのホテルは、団体客を受け入れるようになって少し格が落ちたと噂する人もいるが、それでも正面玄関の回転ドアを通り抜けて建物の中に一歩、足を踏み入れると、その荘厳さはやはり一流ホテルのものです。


左手にレセプショソ、右手にレストラン。


そのまま廊下を奥に進んだ左側に、この隠れ家のような小さなバーがある。


ホテル・リッツのバーだと、誰か知っている人に会いそうな感じがあるが、クリョンのバーにその雰囲気はあまりない。


つまり「お忍び」にはこちらの方がふさわしいということです。


マリーと私は、実際、まるでお忍びのような形でそのバーで再会した。


時は平日の昼下がり。


お茶という気分でもなく、また<a href="http://desktop2cloud.jp/" target="_blank">デスクトップ仮想化</a>にも早すぎる時間であったため、私はペリエを頼んだ。


マリーの目の前には、既に半分くらいに減ったビールがありました。


「フランスで、しかも女性が真っ昼間からビールとは・・・」さらに驚いたことに、彼女はジーンズをはいていました。


ただし、ジーンズといっても、クリョンの泊まり客たちがヴァカンス中に身にうけるあの「カジュアルダウン」のジーンズ、メイドがアイロンをかけて几帳面にたたんだであろうジーンズではない。


それは下町の庶民たちが日常着として愛用するジーンズであり、若者たちが学校へはいていくジーンズと同類のものであった。


ほんの一瞬、彼女の場違いさに対して、恥じらいの気持ちを覚えたことを隠すまい。


同時に、自らの「正しい社会人」的な装いが、急に平凡で堅苦しいものにみえて戸惑ったことも。]]></description>
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         <pubDate>Thu, 02 Dec 2010 14:17:11 +0900</pubDate>
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         <title>ちょう昔だけども面白そう　その１</title>
         <description>「バス通り裏」

「小さな庭を真ん中にお隣の窓うちの窓いっしょに開く窓ならばやあこんにちはと手を振ってこんな狭いバス通り裏にも僕らの心が通い合う」と、中原美紗緒とダークダックスが歌った「バス通り裏」のテーマ音楽をご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。


作詞した筒井敬介はこのドラマの脚本家であり、番組もこの歌にそっくりな日常生活そのものをブラウン管に再現したような内容だったそうです。


「バス通り裏」という番組名を付けたのは、筒井と毎週交代で脚本を書いた須藤出穂であり「ぼくのうちはまさにバス通り裏にあり、新興住宅地に住宅金融公庫からカネを借りて建てた。
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         <pubDate>Thu, 02 Dec 2010 13:09:23 +0900</pubDate>
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         <title>その土地あの土地　その７</title>
         <description>建設工事が行なわれていないところでも、痕は残っていました。

看板も、不動産事務所の人もとってるのですよ。

しかし、いま買っておきなさい。

それとも予約しておきなさ来年はもっと高くなりますよ、とすすめるのです。

伊豆の荒廃は、商社が値段を釣り上げるために、いかに土地と晶物を手に入れ、隠匿してきたかの数千例の一つにすぎません。

もっと深刻な悪例もあります。

しかし伊豆は美しいだけに、掠奪がいっそう痛ましい。
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         <pubDate>Sat, 06 Nov 2010 18:55:40 +0900</pubDate>
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         <title>実践</title>
         <description><![CDATA[こんにちは。

このところ、会社で<a style="color:#2f32b5; font-weight:normal; text-decoration:none"href="http://www.recycle-toner.com/">リサイクルトナー</a>を使っています。

どこがリサイクルなのか。それは容器なんですね。

トナーの容器って中身がなくなればゴミなんですよね。

廃棄されるわけです。

それをリサイクルしようと言うわけなんですよね、きっと。

話は変わりますがリサイクル繋がりで、いろいろなところでよく発表されますが、２３区の職員を中心とする自主研究グループ、ソーラーシステム研究グループの研究成果というものがあります。

みんなで議論するなかからまとまっていったものです。

仲間にはいろいろなメンバーがいて、公園土木、私みたいな衛生、建築とか公害とかいろいろな人たちと議論したそうです。

溜めた雨水というのは資源として使えるではないか、防災用水としても使えるではないか、地下に戻せば地盤沈下の防止になるし、なによりも都市の環境の再生になるのではないか、そんなことに気がつきまして、トータルな総合雨水利用システムとしてまとめて、７年くらい前ですが世に問いたいわけです。

問うただけでなく、その後いくつか実践してきたようですよ。
]]></description>
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         <pubDate>Wed, 03 Nov 2010 12:55:00 +0900</pubDate>
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         <title>その土地あの土地　その６</title>
         <description>東京の新聞の付録版は、幸福な一家が大きな新しい開発分譲地に居をかまえることによって、いかに都市の暑さとスモッグを逃れることができるかという華麗な広告でいっぱいです。

それには、商社の要求する金額をよろこんで支払う、何千という幸福な家族のことも書いてあります。

海岸線を南に下り、中央の高原と小山の上高く、デベロッパーがその痕を残していました。

小山越しに、きちんとした四角形のコンクリートの土台まで道路建設者がハイウェイをつけたところに、「スカイ・タウン」「ガーデン・マンション」「フジ・ビュー」などと看板で発表されている。
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         <pubDate>Thu, 14 Oct 2010 18:55:27 +0900</pubDate>
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         <title>その土地あの土地　その５</title>
         <description>大商社とデベロッパーは、半島のよい土地のほとんどを文字通り買い尽くしていました。

買った値段はバカげたほど安かったが、レジャー志向の客が数百平方フィートの別荘用地をさがしに伊豆に殺到するころには、バカらしいくらい高くなっているでしょう。

一九六四年に坪八千円で買えたのが、七四年には五万ないし八万円、いやそれ以上になっています。

下田周辺だと十万円。

ニュー・タウンとかガーデンとかレジャー・ランドというものが毎日のようにオープンの発表をしています。
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         <pubDate>Mon, 04 Oct 2010 18:55:14 +0900</pubDate>
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         <title>その土地あの土地　その４</title>
         <description>十年後の一九七三年、伊豆を通ってみると、景色にはまだ魅了されたが、それは悲しい経験となりました。

おだやかな古い山やまは昔と変わらない。

富士のすばらしい眺めも変わらなかったが、どこへいっても、山腹を爆発させて、ブルドーザーが新しいコンクリートの道をつくった痕が生なましく残っていました。

ある日、こを通ったとき、何気なく土地を買う可能性についてききました。

会話は次のようになりました。

「あの山はほんとに美しいね。もしも、あそこに・・・」

「いや、あそこはみな三菱のものだよ」

「じゃ、トンネルの向こうの、港を見おろす土地はどうだ」

「あそこは三井不動産。その隣りの海岸は東急が数年前に買った」

「この道をゆくと、あの山に出るのかね」

「そう、『オレンジ・タウン』の標識についてゆくと出られる。連中が山腹のほとんどの土地を買ったね。しかし山の向こう側に住友がよい土地を持っているよ」

「庶民が買える土地は残っていないのかね」

「道の上のこの丘はどうだ。二千坪残っています。もちろん水道はないがね・・・」</description>
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         <pubDate>Mon, 20 Sep 2010 18:55:00 +0900</pubDate>
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         <title>その土地あの土地　その３</title>
         <description>一九六三年まで、伊豆半島は基本的にはまだ農業と漁業の地でした。

熱海から下田へと海岸ぞいの道をゆくのは、車のワダチのあとにはまったり、穴に落ちこんだりする冒険だったが、気持ちはよかった。

下田を見おろす丘の上のよい土地が坪五千円ないし八千円で買え、買い手もあまりいなかった。

下田東急ホテルが六五年にオープンしたころ、そんなところでホテルを始めるのは全く無謀だとさえ考えられた。

たいていの行楽客は北方の熱海に集まっていました。

熱海はそのころでも、コニー・アイランドの山腹版にマイアミ・ビーチを合わせたようなとところでした。

旅行客はまた川端康成の有名な踊り子の道をたどり、半島の中央を南下していました。

そこでは有名な温泉が古典的な宿屋を点々と生み出し、それらは高い松の美しい林に沿って、山腹にいくつもの階を伸ばしていました。</description>
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         <pubDate>Sun, 05 Sep 2010 18:54:47 +0900</pubDate>
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         <title>その土地あの土地　その２</title>
         <description>伊豆の景色は感じと気分は独特です。

伊豆は歴史に富んでいます。

源頼朝は将軍になる前、伊東の温泉地で配流生活を一時過ごしました。

十七世紀、イギリスの造船技師、ウィリアム・アダムズは伊東にきて、エリザベス朝時代の船のつくり方を日本人に教えました。

その何十年か前、偉大な武田信玄の家来たちが山に囲まれた谷間に隠れ家をさがすため、伊豆に逃れてきました。

下田そのものには、まだペリー提督の入港と最初のアメリカ総領事、タウンゼント・ハリスの思い出が残っています。

社会史の解釈の仕方によっては、ハリスは、日本に海外通商の門戸を開かせよというフランクリン・ピアス大統領の命令を実行に移しながら、日本の女性と完壁な生活を送ったともいうし、送らなかったともいいます。
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         <pubDate>Tue, 17 Aug 2010 18:54:34 +0900</pubDate>
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