その土地あの土地 その6

東京の新聞の付録版は、幸福な一家が大きな新しい開発分譲地に居をかまえることによって、いかに都市の暑さとスモッグを逃れることができるかという華麗な広告でいっぱいです。

それには、商社の要求する金額をよろこんで支払う、何千という幸福な家族のことも書いてあります。

海岸線を南に下り、中央の高原と小山の上高く、デベロッパーがその痕を残していました。

小山越しに、きちんとした四角形のコンクリートの土台まで道路建設者がハイウェイをつけたところに、「スカイ・タウン」「ガーデン・マンション」「フジ・ビュー」などと看板で発表されている。

その土地あの土地 その5

大商社とデベロッパーは、半島のよい土地のほとんどを文字通り買い尽くしていました。

買った値段はバカげたほど安かったが、レジャー志向の客が数百平方フィートの別荘用地をさがしに伊豆に殺到するころには、バカらしいくらい高くなっているでしょう。

一九六四年に坪八千円で買えたのが、七四年には五万ないし八万円、いやそれ以上になっています。

下田周辺だと十万円。

ニュー・タウンとかガーデンとかレジャー・ランドというものが毎日のようにオープンの発表をしています。

その土地あの土地 その4

十年後の一九七三年、伊豆を通ってみると、景色にはまだ魅了されたが、それは悲しい経験となりました。

おだやかな古い山やまは昔と変わらない。

富士のすばらしい眺めも変わらなかったが、どこへいっても、山腹を爆発させて、ブルドーザーが新しいコンクリートの道をつくった痕が生なましく残っていました。

ある日、こを通ったとき、何気なく土地を買う可能性についてききました。

会話は次のようになりました。

「あの山はほんとに美しいね。もしも、あそこに・・・」

「いや、あそこはみな三菱のものだよ」

「じゃ、トンネルの向こうの、港を見おろす土地はどうだ」

「あそこは三井不動産。その隣りの海岸は東急が数年前に買った」

「この道をゆくと、あの山に出るのかね」

「そう、『オレンジ・タウン』の標識についてゆくと出られる。連中が山腹のほとんどの土地を買ったね。しかし山の向こう側に住友がよい土地を持っているよ」

「庶民が買える土地は残っていないのかね」

「道の上のこの丘はどうだ。二千坪残っています。もちろん水道はないがね・・・」

その土地あの土地 その3

一九六三年まで、伊豆半島は基本的にはまだ農業と漁業の地でした。

熱海から下田へと海岸ぞいの道をゆくのは、車のワダチのあとにはまったり、穴に落ちこんだりする冒険だったが、気持ちはよかった。

下田を見おろす丘の上のよい土地が坪五千円ないし八千円で買え、買い手もあまりいなかった。

下田東急ホテルが六五年にオープンしたころ、そんなところでホテルを始めるのは全く無謀だとさえ考えられた。

たいていの行楽客は北方の熱海に集まっていました。

熱海はそのころでも、コニー・アイランドの山腹版にマイアミ・ビーチを合わせたようなとところでした。

旅行客はまた川端康成の有名な踊り子の道をたどり、半島の中央を南下していました。

そこでは有名な温泉が古典的な宿屋を点々と生み出し、それらは高い松の美しい林に沿って、山腹にいくつもの階を伸ばしていました。

その土地あの土地 その2

伊豆の景色は感じと気分は独特です。

伊豆は歴史に富んでいます。

源頼朝は将軍になる前、伊東の温泉地で配流生活を一時過ごしました。

十七世紀、イギリスの造船技師、ウィリアム・アダムズは伊東にきて、エリザベス朝時代の船のつくり方を日本人に教えました。

その何十年か前、偉大な武田信玄の家来たちが山に囲まれた谷間に隠れ家をさがすため、伊豆に逃れてきました。

下田そのものには、まだペリー提督の入港と最初のアメリカ総領事、タウンゼント・ハリスの思い出が残っています。

社会史の解釈の仕方によっては、ハリスは、日本に海外通商の門戸を開かせよというフランクリン・ピアス大統領の命令を実行に移しながら、日本の女性と完壁な生活を送ったともいうし、送らなかったともいいます。

その土地あの土地 その1

伊豆半島は、世界で最高に美しい土地の一つです。

富士山のふもとから、相模湾と駿河湾の間に突き出た半島で、火山脈が背中を走り、緑の山、谷川、温泉、薄暗い林間の空地でいっぱいです。

東西両岸には、入江、海面高くそびえたつ断崖、松林と静かな砂浜のすばらしい岸辺が続きます。

古い丘の上から静けさのなかで見る眺めは格別です。

富士の白い円錐体を背景にして海は下に見え、潮騒と遠くの寺の鐘がかすかに聴こえます。

そして半島の尖端、湾に包まれた下田の街は東京から熱海、熱海から伊東へ南に下ったり、駿河湾の漁村を見おろす静かな西海岸を走ると、ビッグ.スーアを通ってサンフランシスコに上がるカリフォルニァ湾岸旅行とまではゆかなくても、カンヌとマントン間のコート・ダジュールを思い出させます。

伊豆の景色はそこに似ています。

職人気質なイメージな職業・・・川漁師

アユやニジマス、ウナギなど川に生息する魚を捕る。
川漁師は魚の習性や生態はもちろん、天候や川の満ち引きなど川に関わるあらゆる自然現象を熟知し、竿や網だけでなく、さまざまな仕掛けを駆使して魚を捕獲する。

地域の川漁師に弟子入りを直談判するのが一般的。
昔ながらの師弟関係の修業を続けて、狙う川魚の習性や生態、川に関する自然現象の知識を一つひとつ体得していこう。

また、最近は渓流釣りが人気となっている。
そんなファンをガイドしたり、民宿などを経営、あるいは釣り教室を開講するなど、活動の幅を広げている人も少なくない。

職人気質なイメージな職業・・・海女・海士

どちらも「あま」と読むが、一般的に「海女」は女性、「海士」は男性を指し、海で魚介類や海藻を捕ることを仕事としている。
どちらも約1年程度の見習い期間があり、その経験を経て一人前の「あま」になることができる。

ちなみに、この「あま」という職業は非常に古くからあり、万葉集にも詠われている。
その当時から、海女による漁は貴重な産業だったのだろう。

地元密着型の仕事だけに、地元以外の人がなるのは難しいといわれている。
そのため、直接地元の海女・海士に弟子入りを志願し、修業するというのが一番の方法。

伝統的に海女・海士による漁が続いている地方の漁協などに問い合わせてみよう。

職人気質なイメージな職業・・・魚介類養殖業者

魚介類を卵や稚魚から育てて、できるだけ高品質で価値のある成体に成長させ、それを商品として販売する。
現在では、八マチやカンパチ、マグロなどを含めさまざまな魚介類が養殖されている。

2003年度の農林水産省の調べによると、魚類養殖の経営者数は、2万4446、ホタテ養殖は3987、カキ養殖は3370、真珠養殖は2290、海苔養殖は6489で、一時期に比べると減少傾向にあるが、今後の世界規模の食糧事情を考えると、その技術を活用する場面は増加しそうである。

養殖業を営むのに特別な資格は必要ないが、海中の生き物を育てること、がメインになるだけに、高校や大学の水産課程を修了しているほうが望ましい。

基礎的な知識を身に付けてから、養殖業を営んでいる漁師や漁協、水産会社などに就職して、養殖技術をマスターしていこう。
ちなみに、独立して養殖業を営むには「区画漁業権」が必要だが、この権i利は地域の漁業組合に入ると取得できる。

職人気質なイメージな職業・・・漁師

漁船を操舵して選定した漁場へ向かい、魚介類を捕る。
カツオやマグロなどの遠洋にいる魚を専門に世界中を巡る遠洋漁業の漁師は、巨大な漁船に乗って操業するので漁獲は多いが、漁のために日本を離れる期間が1年近く及ぶことも。

沖合漁業は200カイリ内を主な漁場として、日帰りから数週間程度の操業。
沿岸の漁師は、漁業協同組合に加入の際に、一定の漁業実績や港周辺の地域に居住するなどの条件がある。

遠洋漁業の漁師は求人が少ないことから、経験がなければ乗船することは難しいが、沖合漁業は未経験者の求人もある。
沿岸漁業の場合、港を中心に地域と密着しているため、その地域に何の縁故もない一般人が新たに漁師として参入することも難しいとされる。

いきなり独立して漁を行って生計を立てるのは容易ではなく、はじめは漁師の船に乗って漁船員として漁の修業をするか、国や都道府県の研修制度を利用することをおすすめする。